野山稲荷 釈迦弥観音
【登った日】 平成 21年 11月 23日(月)
【天 候】 晴れ
【山の名前】 堂所山、萱野山の中腹
【時 間】 9:50〜13:30
【同行者】 hisiyamaさん 桐生みどりさん御夫妻 あにねこさん
【コース】
釈迦堂車道終点〜野山稲荷〜釈迦弥観音〜鳳仙寺沢の頭〜自然観察の森分岐〜旧峠道〜柳原〜笹久保駐車場所
桐生山野研究会のhisiyamaさんに川内の野山稲荷とその奥の院と呼ばれている釈迦弥観音を案内していただいた。
山行に同行いただくのは初めてである。
同じく桐生山野研究会の桐生みどりさん御夫妻とあにねこさんの計5名での散策となった。
hisiyamaさんが復調されて何よりである。
釈迦堂(しゃかんど)の車道終点に駐車し散策開始である。 | 野山稲荷のお堂と聞いたような・・・・。 |
130段(あにねこさんが数えてくれた。)の階段を上ると・・・。 | 野山稲荷です。 |
お宮の後方には石祠がありました。 お稲荷さんですので陶製の狐の人形がたくさん奉納されています。 願いが叶った時に奉納するらしいが、こんなにたくさん叶ったのであれば御利益がありそうですね。 一休みの後階段を下りて作業道を北東に向かいます。 ところでこの階段を上るときはhisiyamaさんが先頭で登られたのですが、実はハイトスは付いていくのが精一杯。(西上州の疲れか?)130段を一挙に上ってしまうのですから足の筋肉が・・・。 ご本人は最近弱くなったとか長いのは無理だから等とおっしゃるが、鍛え方が違うのかもしれないなぁ。
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作業道の傍らに石祠がありました。 | 先頭を行くhisiyamaさん。 |
作業道の終点まで行き着くと右側に吾妻山、鳴神山縦走路方面への踏み跡があるのでそちらへ進みます。
ハイトスは以前地形図の点線道をトレースしようとここまできて、縦走路へ出ようと赤ペンキを信じ北方向の桑畑?方向を突っ切った事があります。 おまけに茨の木が混じっていたので結構難儀しました。 ここは間違っても赤いペンキに惑わされて直進しないようにしましょう。 右手の吾妻山、鳴神山縦走路方面への踏み跡を進むと画像のような7本の杉の木が見えてきます。 この杉の木が目印で、この真下に目指す釈迦弥観音の大岩塊があります。 |
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全体像。 先ほどの踏み跡からは北に数メートル登るのであるが、ここにも茨の小藪があるので不用意にさわらないように注意が必要。 |
狐の人形と御神酒が供えられ、他に鈴などが見受けられました。 岩の前には鳥居や木の階段も作られたとのことであったが、今回その痕跡は見あたらなかった。 |
岩塊から南へ進むとすぐに鳳仙寺沢の頭に出る。 見慣れた鳳仙寺沢の頭の道標である。 |
吾妻山、鳴神山縦走路上の目印は鳳仙寺沢の頭の道標とこの木に巻いた白いテープである。こちらからも7本の杉を目印として下ればよい。 |
鳴神山縦走路と自然観察の森への分岐です。後方は萱野山。 以前は萱野山は大形山も含めた一体を秣山と呼んだらしい。 御料地の意味であろうか。 その努力は敬服に値します。 本来の名称、地元で昔から使用されてきた名称は今後も残したいものですね。
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自然観察の森への縦走路の途中にこの目印。 ここが旧峠道への分岐です。 |
旧峠道とはいっても踏み跡はありません。 少しだけ藪でした。 |
杉の植林地を下ります。 | するとなんと県が設置したという灰皿が。誰が使うのでしょうか。 意味不明です。 |
柳原の少し手前には石段付きの社がありました。 | 遷宮湯殿山と記された木札が納められていました。 |
社の隣には焼き物の祠が。 | 少し下ると今度はお地蔵様もあります。 |
柳原の集落に降り立ちました。 上部が欠けた石の道標です。桐生と読めます。 |
草に覆われた石塔。 |
柳原の農家と大きな玄武岩と思われる岩塊。 | 里山の紅葉。 |
ここであらかじめデポしておいたもう1台の車に乗り込み、出発点の駐車場所まで移動して本日の里山散策は終了です。
hisiyamaさん、ご案内有り難うございました。また参加者の皆さんお疲れさまでした。゚
ここでhisiyamaさんから「カンカン石は知ってる?すぐそばだから寄っていくかい?」「是非お願いします。」というわけでいい音のする石を見物に。
途中の石祠。 | かんかん石です。木片でたたくとなるほどカンカンという音が鳴ります。 中が空洞となっている珍しい石だそうです。 |
初めてhisiyamaさんにお会いした時に教わった白濱山と三十六童子はおかげさまで訪問することができました。
あと一つ教えていただきたいのがガクラクボです。
非公開でもかまいませんので秘境ガクラクボへ案内していただけると嬉しいな。
前回残馬山で発見したテープに書かれた場所はとても降りる気がしません。たぶん今の季節でも。