○ 寄日峠

【登った日】 平成23年 10月 16日 (日)
【天  候】   曇りのち晴れ
【山の名前】 640m 無名峰
【時  間】   11:00〜15:15
【同行者】  単独
【コース】     鷹林寺〜天竹山〜571m標高点606.6m三角点寄日峠大茂温泉神社 鷹林

昨日から降り続いていた雨は明け方には止んだようだが路面は濡れたままである。
どのみち今日も午前中は雨の予報だったので諦めていたのだが、気を取り直して半日で回れる里山に出向く事にした。
しかし時間は既に午前10時を廻っている。
昨日桐生文化史談会の郷土史講座でげきさかさんの講演を拝聴したのだが、その中で寄日峠がやけに頭に残った。
実は初めてこの峠に行った時(残馬山からの戻り)に北沢側に降りたのだが、途中の民家で飼い犬が放し飼いになっており、2頭の犬に吠えたてられて怖い思いをした思い出がある。
さすがに結構大きな犬が2頭でもって吠えたてられると蹴飛ばして先へ進む訳にもいかず往生したのである。
ひょとしたらげきさかさんも同じ経験をされているのではと思われますが。
おまけに藪に引っかかりすぐそばにあった峠の石祠を見ていないのである。
このようにあまり良い思い出のない寄日峠ではありますが、峠自身は古い石祠もあり往時はそれなりの往来のあった重要な峠だったと推察される。
今回この峠に向けて梅田の中居の鷹林寺から尾根沿いに歩いてみたいと考えた。
もちろん
寄日峠からは西の大茂に降りるので前回の轍は踏みませんよ。
時間があれば大茂からさらに西に進んで峠付近から722峰経由で降りられだけ尾根沿いに南下出来れば良いのだが。


「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平22業使、第547号)」

鷹林寺参道の脇に空き地があり駐車する。
鷹林寺。
画像のコンクリート道を直進する。すぐに左に曲がる。
道は荒れているがガードレールの残骸も残る道である。荒れ放題の道は画像の地点で右折するがここから左の尾根に取り付くことにする。
なぜなら障害物が多すぎて右方向へは行く気がしない。
水を含んだ泥の急斜面は登りづらいことこのうえなし。 大汗をかいてようやく尾根に乗りました。
天竹山頂上の様子。途中の三角点は見逃してしまった。 地形図の点線道に合流すると踏み跡が現れました。
地形図では東西に点線道があるのですが、どう見ても南北の尾根方向以外に踏み跡は見受けられない。 571m峰。気持ちの良い頂上です。
ここを西に下ると蕪丁の住居跡だと思われる。
地形図では先ほどと同様に点線道がクロスするのであるが、尾根上にこの石柱があるだけでとても道の形跡は見受けられない。 三角点峰の606.6m峰に到着。ここは4方向に峰が延びている。
ここでお昼ご飯を摂った後北西に進む。
樹間から鳴神山。 地形図では点線道がクロスする場所であるが、先ほどと同様に尾根上にこの石柱があるが道の形跡は有るような無いような。
本日の最高峰640m峰です。 あとは寄日峠まで下るのみ。踏み跡が濃くなっています。
尾根が3方向に分岐ですが、赤ペンキの矢印に従うのが峠への道。 寄日峠に到着です。少し小広くなっています。
石祠が2基。
左の石祠側面には「中尾 寄日 平」、「嘉永四●年三月吉日」とある。
の石祠には何も彫られていない。
峠からは大茂までちゃんとした山道があると思って地図も見ずに濃い踏み跡に進むと山腹を進んでしまう。これはおかしいと気づき戻る。
沢沿いに進むのだが踏み跡は消えてしまう。でも構わず進む。
そのうち道形が現れる。ケルンも積んでありますよ。 益々踏み跡ははっきりしてくる。
林道が見えました。
大茂到着です。
林道から見た峠への点線道入り口。
時間は14:00を過ぎていますので722m峰方面南下案は無理ですね。
廃旅館が不気味です。駐車場の看板がやけに新しく見える。 後は忍山川の渓流を眺めながらテクテク下ります。
川の向こう側に廃屋が。橋も怖くて渡れそうにありません。 温泉神社。
鳥居の奥に朽ちかけた神社が見えますが不気味なので寄らずに帰りましょ。ここの温泉はその昔高山彦九郎が逗留した場所らしい。
少し下ると鳥居と石祠がありました。山神宮と彫って有りました。 荷場、碁石小路の集落を抜けて駐車した鷹林寺に戻りました。

帰ってからあにねこさんの記事を読んで温泉神社に寄らなかった事を後悔。貞子が出そうな場所があったのか。(笑)
また、出だしで愛宕山経由で行けば頂上の石祠も拝めたのにと残念ではあるがあとの祭り。


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