○蕪丁、唐松集落跡

【登った日】 平成24年 2月 19日 (日)
【天  候】   晴れ
【山の名前】 571m 無名峰
【時  間】   10:25〜15:15
【同行者】  hisiyamaさんご夫妻、hisiyamaさんの友人Mさん、げきさかさん
【コース】     湯本〜唐松集落跡〜571m標高点〜蕪丁集落跡〜湯本

桐生山野研究会のhisiyamaさんに案内いただいて蕪丁、唐松集落跡をめぐりました。
これら集落は昭和29年に退去した最後の一軒をもって廃村となっております。
場所は桐生市梅田の忍山山稜の中腹部であり、住居跡の石垣や石像群を残しております。


「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平23情使、 第548号)」

湯本の民家の駐車場に許諾を得て駐めさせてもらいます。
今日はあまり時間がかからないだろうとの事で出発がこの時間です。
少し上流にある橋を渡ります。危険と書かれた注意看板がありましたが結構しっかりとしていました。
橋は朽ちていますので避けて通ります。 さっそく墓地が。
朽ちた橋の通行は厳しそうなので左岸の縁に沿って進みます。 沢は枯れているので障害物がなければ一番歩きやすい。
思いもかけぬ5人パーティとなった本日の山行である。沢から離れる。 見下ろす沢には橋の残骸が。
中腹の岩盤に突如現れる石像群。
年号からして江戸時代中期のものと思われる。
観音様であることは判るのだが・・・・。背景が賑やかである。
以下各石像、石碑を掲げる。道祖神が中々優しい雰囲気を醸している。
沢が分岐している。
右の沢をすこし登り大きな岩の下には・・・。
墓地となっていて古い墓石がいくつか見られた。
建てられた年代は同じく江戸時代中期のようである。
石垣。 石垣の上は平地になっており住居、又は畑だったのではと思われる。
2段になっており、上の段から下の段を見下ろす。 平地は現在植林されております。
上流部にも石垣。沢の側ですので畑だったのでしょうか。 この辺りはそこそこの面積の平坦地となっている。
沢の縁にも石組みが見られた。 しばらく歩くと風船に付けられた紙片が。
足利めぐみ幼稚園の平成23年度卒園記念とありました。
三椏の木が目立ち始めます。 この辺り一帯は三椏の林のようです。hisiyamaさんの奥さんから、もう少し経てば黄色い花が咲いてそれは綺麗になるだろうと教わりました。
適当に稜線に向けて登るとお茶の木が・・以前は栽培されていたのでしょうね。 尾根の途中で昼食を摂ります。
寒くもなく暑くもなく・・と思ったらやはり留まっていると寒くなりますね。
三角点ピークを捲くように進むと鞍部が見えてきて、稜線上に出ました。 主稜線は下草もなく歩きやすい。
とりあえず571m峰で1本。
ここで西の尾根に下るか、それともこのまま南下するか検討。
尾根を南下するが地形図の破線道の分岐が不明で適当なところから蕪丁集落跡に向けて下る。樹間から鳴神山が見えた。
下り斜面は結構な傾斜である。 まっすぐ降りようとすると結構厳しいのでルートを選びながら降りる。
今日のメンバーは少しくらいの藪は全く問題ないのである。 傾斜が緩むとまたしても三椏の群生地。
少し下ると右岸上方に石組みが見えた。 登るとさらに上方にも石組みが。
登ると平地であった。 さらに石組みが続く。規模は唐松集落跡よりも大きい。
コンクリート製の貯水槽?浴槽?のような跡。 何に使用されていたものなのか。以下石組みや石像、墓石が続く。
記録によると江戸末期には7軒の集落があったとされるが、最盛時はもっと多くの人家があったと思われる。 最後の石組みを見てからしばらく緩やかな山道を下ると車道が見えてきました。橋は落ちているので水量が少ないことを期待する。
車道からもよく見える庚申塔。 すぐ側には言わ猿?の変わった石像があった。
忍山川の水量は少なかったので安堵した。 この寒い中、靴を脱いでの渡渉は遠慮したいですからね。
後は車道を歩き駐車位置まで。

家人に駐車場借用の御礼を述べて帰路につく。

その前にこの場所より少し北上した場所に突坂越えと呼ばれた峠道があり、その場所に石像があるというのでhisiyamaさんに引き続き案内いただいた。

 

   
最短距離の斜面を登る為、本日で一番の急登となる。 峠には馬頭観音像が倒れていた。
台座に乗せて写す。この後石を積めたり等の応急処置を施す。
車道の駐車位置まで戻り、今ほど登ったピークを眺める。

逆光で少しわかりにくいが画像上部の中心よりやや右の明るい場所辺りがそのピークである。

本日はhisiyamaさんに案内いただいて蕪丁、唐松集落跡をたどったが、蕪丁については以前hisiyamaさんが訪れたときにはもっと多くの墓地や石塔が見られたとのことであった。これは今後の宿題にしておこうと思う。


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